「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】…‼️

日本では、「安楽死」を認める法律や制度はありません。

安楽死の法制化を望む人、それに反対する人、それぞれの思いを取材しました。

 

■安楽死が認められていなかったら?「首を吊って死んだかもしれない」

都内に住む、64歳の迎田良子さん。

難病のパーキンソン病患者だ。

「歩くのが好きなので、ちょっと辛くても歩きたいです。見てもわかる通り、膝が曲がって前かがみになっていて、 辛いというか、歩くのがちょっと大変」

日本では認められていない、安楽死の法制化を心から願っている。

「安楽死に関して討論してほしいと思う。日本でもいつか、安楽死が合法化されることを願っています」

パーキンソン病は手足が震え、徐々に体が動かなくなるなどの難病だ。

ただ、それ自体で死に至る病ではない。

Q.安楽死が仮に認められていなかったら?
「辛くて身体が痛みが続きますから、だんだん動けなくなってくるので、首を吊って死んだかもしれない」

両親と兄の4人家族。

両親は不仲で、母親が自宅に連れ込んだ交際相手に、暴力を振るわれるなどしたため、迎田さんは小学生の頃から、早く家を出て自立することを夢見ていたという。

高校を卒業後、海外で日本語の講師などをした。

憧れだったヨーロッパと行き来しながら、一人で夢を切り拓いてきた。

しかし、50代でパーキンソン病を発症したことで、フランス人の男性との婚約が破談に。

その後、両親を看取り、一人で生活することが難しくなってきたと感じ、安楽死を決断した。

「不快さ、体の痛みを代わってくれるわけではないので、進行性の難病なので、私はもう安楽死を選びますね」

日本では、患者の希望などで延命治療をやめることは認められているが、致死薬を使う「安楽死」は認められていない。

このため迎田さんは、海外で安楽死を認めてくれる団体を探し出し、手続きを行った。

Q.安楽死を選びたいと思ってからどのくらいが経ちましたか?
「もう7年以上経ってますね」

Q.もし日本に安楽死があったらその道を選びましたか?
「そうですね」

2週間後、スイスのジュネーブを訪れた迎田さん。

「すごい綺麗。ほら、透き通ってるでしょ。 夏は気持ちいいのよ、足を入れてピチャピチャしてね」

レマン湖は、パーキンソン病を患う前の2006年に、恋人と訪れた特別な場所だという。

「私が人生の中で一番幸せだと思ったところですし、そこで痛みを消して(安楽死して)、私の散骨をできる所なので嬉しいです」

安楽死当日。

婚約していたが破談になったフランス人の元恋人が、当初付き添う予定だったが、直前に断られたという。

「この人には看取ってほしかったなというのはありますけど、やっぱり人の考え方には権利もありますので、この結果が一番自分にとってベストだと、ポジティブに考えています」

レマン湖での散骨を手配し、日本にいる親族や主治医への手紙の発送も終えた。

「私って用意周到なのよ。ああいう家庭に育ったから。人に甘えるというのが下手くそなのかもね」

準備が進む中、あらためて安楽死を思いとどまることができないか尋ねた。

Q.今すぐに死が迫っているわけではないですよね。まだまだ生きられると思うんです。
「生きられるけど、何が嫌なのかというと、痛みなんじゃないですか。痛みと不快感」

安楽死が日本で認められた場合の懸念についても聞くと…

Q.難病を抱えた人は福祉も少ないから「自分は本当は生きたいけど、安楽死した方がいいのかな」と思ってしまう人が出ると思うがどうですか?
「難病だから誰でも(安楽死をして)いいというものではないですよね。病気になったから嫌だ、安楽死だというのではない」
「基本は生きることですから。でもそれがやむを得ないときに安楽死があるってことだから。そこのジャッジをね、しっかりしないと」

 

■「イエス、OK。ありがとう」そして、バルブを外した

迎田さんをサポートするのは、安楽死団体「ライフサークル」のプライシック医師。

「ハロー」
「ハロー」
「あなたに花をもってきたかったの。日本のサクラのようなものです」
「サンキュー」

誓約書への署名が終わり、ベッドに横たわる迎田さん。

「誰もがスイスではなく、自分が住む場所で安楽死できることが大切。自宅でできたらいいのに」
「グッドアイデア(良い考えだわ)」
「私の団体にはたくさんの日本人がいます。スイスが最善の選択ではありません」「大丈夫?」
「大丈夫。ありがとう。ここに来られて本当に幸せです。夢が実現しました」
「バルブを外したら何が起きるかわかりますか」
「私は死にます」
「それがあなたの最後の願いならば、バルブを開けて良いです」
「イエス、OK。ありがとう」

迎田さんの遺骨は生前望んだ通り、レマン湖に散骨されたという。

 

■難病患者の訴え「安楽死に強く反対です」

安楽死をめぐっては、安易に死を選択することになりかねないと危機感を感じている人たちがいる。
先週、京都地裁で行われた裁判。

2019年、医師の大久保愉一被告(45)が、全身の筋肉が徐々に衰えていくALS患者の林優里さん(当時51)から依頼を受け、薬物を投与して殺害したとして、嘱託殺人などの罪に問われたものだ。

林さんはSNSに「安楽死させてほしい」などと投稿していた。

京都地裁は大久保被告に、別の殺人罪と合わせて懲役18年を言い渡した。

裁判ではALS患者の岡部宏生さん(66)ら、多くの障害者が傍聴を続けた。

判決後の記者会見では…

「この事件が起き、裁判が始まってから、生きることと死ぬことの選択の問題にされ、同じ病気や障害のある者、仲間同士の分断が広がっています」「障害があっても生きていける日本社会に一緒にしてほしいと思います」

重い障害がある人たちは、安楽死の問題をどう受け止めているのか。

岡部さんの自宅を訪ねた。

岡部さんは現在話すことができないため、眼の動きで文字盤を追い、介助士に一文字ずつ読み取ってもらう。

「こ、ん、に、ち、は、マル。よ、う、こ、そ、で、す、マル」

18年前の48歳の時にALSを発症した岡部さん。

将来を悲観し、何度も自殺することを考えたという。

「ここのベランダから飛び降りようと具体的に実行しようとしたのですが、柵を乗り越えられるほどの筋力が残っていなかった」

病気の進行とともに、自力での呼吸ができなくなるALS患者。

このため、人工呼吸器をつけて生きるか、つけずに死を迎えるかの選択を迫られるが、7割の患者が呼吸器をつけずに亡くなるという。

当初、岡部さんも呼吸器をつけずに死ぬことを考えていた。

だが、「障害に縁がない人にも生きることについて考える機会を提供したい」との思いから生きる道を選び、障害者の現状を訴えてきた。

日本で安楽死が認められることに危機感を抱いている。

「私も4割の時間は、死にたいと思うくらい辛いです。そんな時に『死なせてあげよう』と言われたら、間違いなく『なら死なせて』と言ってしまうでしょう」「安楽死が本当に必要な人以外に、どんどん広がってしまうことが恐ろしいです。だから安楽死に強く反対です」

介助士による24時間体制での介護が必要な岡部さん。

介護していた妻がうつ病になった時には、自身を責めることもあったという。

「こんなに介護が大変ならば、自分の家族の介護負担をなくすために安楽死しよう、という人が必ず出てくると思います」

 

■「安楽死で死んでいける社会を目指すなら、希望をもてる社会ではありません」

「今日の講演は中学生高校生相手なので、とても楽しみにしています」

病気が進行すると眼球の動きが悪くなり、文字盤を使った会話もできなくなるという。

岡部さんの周りには、一緒に活動してきた戦友たちの写真が飾られている。

「目の前の写真の患者はまゆみさんと言って、もう10年、自分から発信ができません。あなたは発信できるのだから頑張りなさいと励ましてもらっています。いわば叱咤激励されています」「仲間が次々に亡くなってしまいました。私は長生きです。では参りましょう」

岡部さんは「日本一外出するALS患者」と呼ばれている。

悩む他の患者たちの元をたずね、月の半分以上は外出している。

その岡部さんから生きる力をもらったのが、同じALSを患う佐藤裕美さんだ。

「安楽死を認めるべきだ」との声が上がる度に、脅威をおぼえ、生きづらさを感じていたという。

「安楽に死ねる制度があるのに、あえて使わなかったのだから、『使わなかったあなたは苦労して生きることを受け入れなさいよ』と思われてしまいそう」

しかし、岡部さんに「生きているだけで価値がある」と励まされ、自身も前に出てその活動を手伝うようになった。

この日、千葉県の高校で行われた「生きるってなんだろう?」という特別授業。

「誰もがその人らしく、その人を無理やり変えることのないままに、どこまでも幸せを求めて生きられる世の中になってほしいなと思っています」「あなたの『生きる』、ここにいらっしゃる一人一人の『生きる』も、かけがえのない、とっても大事な、一つの生きる形だと思います」「誰かに生きてほしいと思われていること、誰かに生きてほしいと思うことで、私たちは生きる力や希望を持てるのだと思います。この気持ちを失ったら、この社会はもっと悲惨な出来事が増えるでしょう」

岡部さんたちのメッセージは、生徒たちにどのように届いたのか。

「私は今まで生きててしんどいなとか、逃げたいなとか思ったことがありましたが、今回の話を聞いて、人それぞれの生き方があることがわかって、自分は自分らしく、これからも生きていきたいなと思うことができました」
「私が岡部さんと同じ立場になった場合、父とか友達とか周りの人たちに迷惑かけたくないなという思いから、たぶん私は自分で死を選んでしまうと思うんですけど、将来は助産師さんになって、生きるという希望に向かって進んでいけるような世界や社会を作っていけたらいいなと思っています」

岡部さんは、眼球の動きが少しずつ衰えていて「自分がメッセージを伝えられる残り時間は長くない」と話す。

「私も安楽死を具体的に検討したこともあるし、つい去年も体の辛さで死にたいと思ったことがあります」「私たちに限りませんが、人は死にたいなと思うこともあります」「安楽死で死んでいけるような社会を目指すなら、希望をもてる社会ではありません」

安楽死を選ぶのではなく、生きることを選んでほしい―

岡部さんの命をかけた訴えだ。